残念

私と一緒に投票に行ったお兄、テレビを見ていてたのべさんどうした?というので残念だった、と伝えるとちゃんと名前書いたのに。本人も残念だっと・・・知的障害といってもいつも私達と話しをするのでそれなりのことはわかるようです。危険度の認知などは全くできません が、時々面白いことをいいます。たとえば赤い日だから月曜日はお休みダヨ。と言うとカレンダーを見て海の日だって!海ないのに!最もだと思ってソウダネと相槌をうってから(笑)ってしまいました。海無し県に暮らしているのですから。言い得て妙、こんなことが多々あるのです。孫四才との会話にも笑わされることしばしばですが今日はお猿の芸を見てしまいました。猿が反抗的に歯をむきだしているのですが芸をするのです、どうして?と聞かれてどうしてだろうねとうまく答えられない私です。

大変な一日

お客様もいない。祝日なのでオアシスもお休み。にもかかわらず早朝に電話が・・・火事だから来て!と認知症で引きこもりの人のうちです。6時半身繕いもせずに飛び出していきました。煮炊きもできないのになぜ出火?考える暇もなくおばあちゃんのそばへ「ゴメンなさい。」とくり返すばかり。お腹がすいてというので内に戻りおにぎり バナナ麦茶を持って取って返し警察と消防の事情聴取。行政の人と保護の打ち合わせ。すべて終わったのが10時半。バタバタの日でした。認知だから早く保護してほしい。といっても本人の意思が確認できないと本人はへんじができないと説明しても人権がうんぬんと・・・夕方精神科の病院に入れたと報告はきましたが。なんとも疲れた連休初日です。

出会い

人生を変えるような出会いがありましたか?と聞かれ、主人ですかね。なんて言えるといいのですが、残念ながらそれほどでもなく・・・
強いて言えば子どもたちですかね。3人の子どもたちには助けられました。
長男は先天的な障害があることが3.4ケ月までにわかりそれなりに手を尽くしてきましたがこの話は長くなるので割愛。
7年後に生まれた娘にはお兄ちゃんの障害のこともきちんと話して受け止めてもらいました。
多少のいじめも経験したのですが私のことです。トコトン相手と向かい合いました。
末っ子には何も話さず全く野放図に育てました。
ある日「お母障害者ってなんだ?お前の兄ちゃん障害者って言われたから、よくわかんないけどムカついたから殴った。」これが7歳の時でした。「障害者っていうのは少しお前と違うこと、お兄ちゃんは病気があるから毎日まずいお薬を飲んでいる。みんながお兄ちゃんを助けなくちゃいけない。とりあえずお前が殴ったこのうちに謝りに行こう。」と出かけました。
7歳の子供が障害云々という意識があるわけではなく多分このお母さん考えを聞いておきたかったのです。
小学校に入ったばかり子供にあの子のお兄ちゃんは・・・という話をしているのでしょう。でもありがたいことに図々しく乗り込んでいった私の話を受け止めてくれて子どもたちはその後仲良しになりました。
毎日子供の話を聞くことそれが私の仕事だと思っていました。
私は自分の仕事を持っていたのでとりあえずその日にあったことはそれぞれ聞いて対処してきました。
雑な子育てではあるのですが話だけは聞く・・・
そんなある日でかけた先で水子地蔵に手を合わせる私にこれ何?と聞く娘。
「お母にはお兄ちゃんが小さいころお腹に赤ちゃんがいた時があったんだけどちゃんと生まれなかったんだよ。生まれなかった子を水子って言ってここでごめんね。って言ってた」と言うと娘は隣で同じよう
に隣で手を合わせ、この人のおかげでお母とかヤンは会えたんだね。」と・・・目からうろこでした。
娘の言葉でふと心が楽になりました。
そんな娘も34歳2人の子を持つ母になり喧嘩早い末っ子は32になりました。えっつお兄ですか41になりますよ。
3人共私にとって最高の出会いでした。

深夜放送

高校生の頃、毎日ラジオ講座を聴いていてその延長で深夜放送を聴きながら勉強をしたり夜中に友人と電話でおしゃべりしたり・・・
今のように携帯がないから家族が寝静まってからコソコソと電話をしたり、一番楽しかった時期のようなきがするのです。
何もややこしいことはなく取り敢えず勉強しているふりをして・・・
PPM反戦歌やらタイガースの歌やら聞くとはなしに聞き流しDJの話に耳を澄まし私の部屋は真東を向いていたのでまだ首都高のない京浜工業地域のど真ん中ちょうど日本鋼管溶鉱炉を真正面に見て空は夕焼けなんぞと比べ物にならないくらい赤くなる空を毎晩眺めていました。
カミユを読んだりジイドを読んだりなんで世の中のことを小難しく考えられたのでしょう。
二度と戻ることはない時代ですが忘れることのできない時代でした。

とんでもない日

昨日のことです。
いつもの通り3時30分にお兄から電話があり迎えに行きました。
10分で帰ってくるのに30分遅れ、事故だそうです。
これは多いに腹を立てております。
まずなんの連絡もなかったこと、しかも停車中の車に施設の送迎車ガブッついたそうで、障害者が定員いっぱい乗っているのだ。
私でさえ福祉車両講習会に参加してるのに・・・・
腹を立てて4時過ぎにペンションに戻ると、主人が「今日のお客さんは俺がXEROXで最後に一緒に仕事してた人だった。全く偶然だった。お茶持ってって」と
早速お茶と羊羹を持って行くと「堀口さんですよね」と私の旧姓です。私はお顔を存じ上げていないのですが、私の後輩に当たる方だそうで・・・
昔話しに花が咲きました。
45年前に入社3年しか在籍しなかったのに・・・
私が覚えていないくらいですから営業所も別だそうで、そんな方に覚えて戴いたのはひとえにミニスカートのおかげかなどと大爆笑。当時の写真を見て思わずニンマリ・・・
そんな時代もあったのです。
当時の仲良しの今の写真を見せてもらってみんな45年たっちゃった
なーーーと。
とんでもない一日でした。


イオンのジムに通い出しました。

バタバタ忙しいにも関わらずジムに通い出しました。
血圧だ内臓脂肪だと、とりあえず雪で散歩がままならない買い物がてら覗いてみたら知人が居りお試しということで2月から10日余り。毎日行っても5000円ぐらいかな?
3.40分で終了。
カリキュラムについて行くだけで手一杯ではあるのですが、汗をかくのが気持ちのいいものだと体感しています。
2月はスノーシューと開発合宿で忙しいのです。
孫も重たくなってきました。
はじめのいっぽのお母はとりあえず体力勝負です。
頑張ってみよう。それにしても、路地の雪が融ければいいのですが、
今晩も路面が白くなってきました。
   おやすみなさい。